私はシャルリー

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皆様ご存知だと思いますが、「Je suis Charlie(私はシャルリー)」と言うメッセージは1月7日にパリ市内にあったテロ事件で亡くなられた方々へのサポートメッセージで事件直後から使われています。そしてこのメッセージは「私は武力に恐れずこのテロ事件に抗議します。」と言う意思表明です。

一昨日から私もシャルリーです。

私自身、今まで何回もこの新聞社が発行する「シャルリー・エブド」を読んだことがあります。ですが、論旨は正しいのかもしれませんが、その書き方、描き方はちょっと挑発的でやり過ぎだと思ったことがあります。なので敢えて進んで購読はしていませんでした。
しかし、この件を受けて日本のフォーラムや、Facebook等を垣間見ると「シャルリー・エブドはイスラム教へ大変な失礼をしたので仕方が無い」、「天皇を侮辱すれば日本人にどう思われるのか?それと同じ事だ」の様なコメントがあり、それらの意見には違和感を覚えるので迷いましたが思いきってこの記事を書いています。

そもそも元になっていると思われるのは2005年にデンマークの雑誌に掲載されたマホメットの風刺画です。その直後「シャルリー・エブド」が表現の自由ということで同じ風刺画を掲載しました。
その際は幾つかのイスラム教のアソシエーションが集まってシャルリー・エブド社を訴え、その2年後パリで裁判があって、以下のような判決が出ました:「風刺画を扱うシャルリー・エブド誌では様々な話題についての風刺画を掲載している。これらは公共の場に掲げられるポスターや宣伝とは違い、見たくなければ見る義務が無い。また風刺画とは元々世の中を辛辣に風刺することが目的の物であり、風刺画自体は『表現の自由』の一つであると考えられる。今回の件では、シャルリー・エブドはイスラム教を侮辱する意図は全くなかった。よって、いくらイスラム教側が侮辱として受けとっても、マホメットの風刺画を新聞に掲載することは『表現の自由』の限度以内である」。
フランスはデモクラシー(民主制)の国ですから、何か問題が起こるとそのデモクラシーのシステムを守って問題を解決します。2007年に「侮辱と感じるのであれば見なくていい」という判決が出て決着がつき、それはフランス国民の共通の認識となりました。

フランスの国民の10%はイスラム教徒です。ですから当たり前ですからフランスに暮らすイスラム教徒はフランス人としてフランス国のデモクラシーに同意した上で真面目に暮らしています。そしてもしも同意しないのであれば、スト、デモ、裁判、選挙、等で正当に訴える権利がある事を知っています。ですから、今回の事件はイスラム教はもちろん、ユダヤ教、キリスト教、どの宗教でも、誰でも同意できないことです。

「彼等はイスラム教徒ではありません。もしもシャルリー・エブドに賛成しないのであれば、銃ではなく風刺画で戦うべきです。彼らの風刺画が失礼であったとしても、これはもう裁判で決着がついています。このテロリスト達はイスラム教徒だと言っているが、彼らの予言者は決してマホメットではありません。彼らの予言者は悪魔だ!」とドランシ市のイマム(イスラム教の導師)が言いました。これがフランスに住んでいる普通のイスラム教徒の考え方であると思います。

酷い侮辱だと、不当だと感じるのであれば、それは公の場で大いに議論されるべきであり、だからと言って決してその人の命を有無を言わさず奪って良いということでは無いはずです。ですから今回の事について「殺されても仕方が無い」という考え方には違和感を覚えます。それどころか、私達はそんな暴力に皆で立ち向かって行かなければならないのではないかと思います。

明日(10日)日曜日はパリ市内で大きなデモがあります。
それはテロで命を失くした人達への追悼、表現の自由への賛同、それを武力で破壊しようとする者への抗議の意が込められています。そこにはイスラム教徒はもちろん、信仰や国を越えた人々が集まることでしょう。
私もそのデモに参加するつもりです。

一昨日からフランス人の皆はシャルリーです。


Je suis Charlie

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